2024年10月06日

父親不在 ニッポン家庭の現実

いつからなのだろうか。
ニッポンという国に、父親というのが減少してしまったのは。

元々が男尊女卑のこの国にあって、ただ、男が優遇されているだけでなく、
それ相応の責務を全うしている社会があった。

そう、"あった" なのだ。

父親というだけで、威張り散らして権力をカサにしても良いけど、
それならば、それなりの働きをしていた時代があったのだ。

けれど、それはいつのまにやら、権力だけ欲しがり、
責務を放棄するばかりのダメ男を量産するようになった。

一つの区切りは、明治時代なのかと思うが…
その後、現代に通じているのは、戦後なのかもしれない。

今日、ある記事が目に留まった。

「離婚のきっかけは●●依存」


夫の依存といえば、薬物、アルコール、女、ギャンブル…あたりがあるあるモノ。

この記事の場合、ギャンブル依存だった。
記事は漫画になっていたが、このコマだけで十分過ぎた。以下引用

ギャンブル依存.jpg


どうしてこんなものばかり量産されているのだろう。。。

本当に呆れるという言葉だけでは言いあらわせないほどに、
子どなばかりが溢れかえっている。

こういう輩に大人としての、男としての「プライド」というものはないのか?

少しずつではあるが、変わってきているとはいえ、こんなことが記事になるくらい、
やっぱりダメダメなんだ。

posted by メイ・シオン at 21:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月30日

髪を貰おうとする夢

どこかイベント会場かなにかの場所にいる。

それまで数人の人が、イベントらしきことに参加していた。
そのイベントの順番待ちをしている私は、参加している人のさまを見ている。

参加している人は、TVスタジオにある熱湯風呂のようにところに浸かっているようにも見える。
順番待ちの人々は、イベントに参加している横向きに並んでいる人々を見ている。

実際にはその人たちの横顔しか見えない。
どんな顔なのか、全く記憶は無いが、その人たちの髪だけはっきり見える。

参加している人々は、順に参加を終了しその場を去っていく。
そのうち、1名だけが残っていた。
その人は、男性で黒々とした肩ぐらいの長い髪をしていた。

そのイベントらしきことのルールの中に、髪をいただくというのがあり、
もう、残っているのはその男性のみなので、その人しか選択肢がない。

それで私は、その男性の髪をよくよく見てみる…
と、つやつやの黒髪は、どうやら脂ギッシュでツヤを帯びていることがわかり、
そっと、その髪を束にして触ってみた。

「あれ、こんな脂ギッシュな髪は貰えないぞ…」と、心の中で困惑する。

どうしよう…髪を貰うことはできないな。
もっと早く、他の参加者もいる時に選べばよかった。
などと考えている。
posted by メイ・シオン at 22:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年09月29日

おきあがりこぼしみたいな赤ん坊の夢

その子は子ども用のイスに座らされていた。
442468.jpg

奇妙な赤ん坊の夢をみました。



昼下がりの明るい部屋にその子はいた。

35cmくらいのその赤ん坊は、

赤子のおもちゃの起き上がりこぼしみたいだった。



小さなイスに座らされたまま

とても大人しくて泣きもしない
頭はイガ栗丸坊主
首らしい箇所はなくて胴と繋がっている



男とも女ともわからない
なぜかおむつをしていない
けれどおもらしをしてる風にも見える



その赤ん坊の世話をしなければならないのはうちの母
母は隣の部屋にいて姿はみえない

私は赤ん坊を放置している母を呼ぶ


「この子 おむつしてないけど」
母は聞こえているのか生返事



私はその赤子のイガ栗頭を撫でている
頭だけ大きく首も無く肩もない
卵のようなその形がイスに座ったまま


何とも奇妙なその大人しい赤子が可愛らしく
憐れでもあり、ただただ赤子の頭を撫でる



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赤ん坊の夢は基本的に吉夢、状況によって凶夢といわれるらしい。

赤ん坊は再生の象徴だとか言われるが、この場合、私そのものかもしれない。

その場にいるべき母は、赤ん坊を放置し生返事している。

それは、みるべき子どもを見ていない親の象徴であり、

放置され大人しい赤ん坊は、手のかからなかった私そのものだ。

放置された赤子そのものを私自身が慰めている。
posted by メイ・シオン at 15:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年08月26日

部屋数の多い一軒家に居候している夢

部屋数が多い一軒家にいる。
そこは夢の中では今現在、私が住んでいるところ。
だが、自宅ではない。
誰かの親族だかの家に間借りしている。

広い家のようで、風呂、トイレなど2つずつある。
6畳か8畳の部屋が私の部屋らしい。

引出のみの洋服ダンス、鴨居の高さに棚が配され、棚には母の古いお人形や、姉の人形?飾りものがある。
私が幼少時に祖母からもらった大きな黒熊のぬいぐるみ「みきちゃん」が出てきた。
「棚のスペースが余っているからみきちゃんも飾れるね。」と思っている。

実際のみきちゃんはとっくに処分しており、さらに、夢ではみきちゃんとはかけ離れた小型で古めかしく色あせた白っぽい熊のぬいぐるみになっている。
部屋のスペースはまだ空いているので、「これだったらベッドも入れられるじゃないか…」と思っている。

ふすまを開け、他の部屋へ行くと祖母、まりちゃんの伯母さん、他に親戚らしき人々が何人もいる。
いつの間にか、夜も遅いからと、隙間なく縦横みっちりと部屋中に布団が敷き詰められている。
まるで修学旅行のように人数分の布団ですでに各自の布団にいるようだ。

まりちゃんの伯母さんの足元に縦に敷かれた布団に祖母が居り、隣の部屋へ行くため、祖母の足元をまたいでいこうと横寝をしている祖母に「足元ごめんね」といってまたぐ。

実際の祖母は102才まで生き、とっくに亡くなっている。

別の部屋へ行くと、布団が敷き詰められた廊下側の下がりに夫が寝ている。
「なんでそんなとこなの?」などと声をかけている。

私は寝る前に風呂に入りたくて、風呂へと行くが…姉、姉の彼氏?だかが使用している。
もう一つの風呂を覗くも、3人くらいが使用している。
その人たちは親戚ではなく、誰かの友人などで見たことも無い人。

「2つも風呂があるのに空いていないなんて…」と考えあぐねている。

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この夢の前日、風呂に入れずに実際に「風呂に入りたい」という欲求が反映されているように思った。

夢占いや夢の解説をみると、親戚がたくさん出てくるのは、冠婚葬祭と関連する夢というのが多い。

特に雰囲気が暗ければ葬儀などのこと。
亡くなっている人物が出てくることは多い。
今回、出てきた祖母は70歳代のように見える。
腰は曲がっているもののまだよく出歩いていた頃だ。
長いことデパート食堂(有楽町の大丸?だったと思う)の洗い場でパートしていたので、70歳代だとまだパートに出ていただろうか。。。
posted by メイ・シオン at 15:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2024年04月22日

ムチムチな黄トラのねこが職場にいるという夢

その職場は昭和めいたオフィスで、しかもかなりブラックな就業状態らしい。
つまり人手が足りなすぎて、社員はいっぱいいっぱい。
そこで働くことになった私は、仕事を教えてくれる女性の元へ。
すると、その職場(フロア)で、飼っているネコがいるらしいことがわかった。

ネコは、オフィス内を勝手にウロウロできるようになっていて、
最近預かりはじめたらしく、まだソワソワと落ち着かない様子。

オフィス内の行ってほしくない箱の隙間に隠れたいらしく、
その女性はそれを阻止しようと、背中から掴まえて元に戻したりしていた。

場面は変わって、何故かネコトイレの砂が散乱しているオフィス床に立ち尽くす私。

これは酷い…

履き掃除しようにもほうきがどこにあるかもわからず。
仕方ないので、紙類をちりとり代わりに掃除を始めたのだが…
な、なんとその中にう●こまで落ちていて、これはどうしろっていうの…と、茫然としている。

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夢から覚めて、糞便の夢は逆夢だから宝くじでも買わないと…などと思っている。
それにしてもあのネコは、背中しか見えなかった。
ムチムチとした肉付きの背中から抱えられるような大人しい猫だった。
posted by メイ・シオン at 00:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月16日

会社員時代の職場ビルが出てくる夢

朝方、30分くらいの間に見た夢

そこは職場らしい。

近年来たことのある職場らしいのだが…
何かしら、職場に持って行く必要のある書類を戻しに来たらしい。

職場の上長らしき背の高い女性と、職場ビルの地下駐車場のようなところを歩いている。
職場の事務所があるとこへ行こうとしているが…

なぜか時間は深夜、または、職場も終わっている夜の時間帯。
とにかく、できるだけ早く届けたいようで、そんな時間になっている。

職場事務所に行ったか…は不明だが、その後、ビルを出るシーンになっている。

なぜか会社員時代の上司、君さんと一緒に退社している。
時間は夕方なので、さっきの続きとは言い難いが…

そのビルは、会社員当時のビルにとても似ている。
エレベーターホールで君さんは、エレベータードアに自分の所持品を巻き込まれてしまう。

上着ごと持って行かれ、戸袋に入ってしまったのだが、
それに気づかずに降りようとする君さんに私が、荷物が引き込まれたことを急いで知らせる。

上着の内ポケットにあったはずの「さいふ」が戸袋から出てくる。
他に「菜切り包丁」が出てきた。

私は「えーっ、なんで包丁なんか内ポケットにあるわけ!?」
と仰天しているのだが、次の瞬間に何事もなかったような会話になっている。


君さんは、自宅のある横浜へ帰るのだが、私は、仕事で横浜方面へ行くらしい。
何か、届け物をしなくてはならないということらしい。

建物エントランスの自動ドアから外を覗くと、小雨が降っている。
君さんは、傘を持っているらしい。

私は、事務所まで取りに戻るの面倒だな…
早く横浜まで行きたいし、どうしようかな。

と思っているところで目が覚めた。

posted by メイ・シオン at 14:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年10月12日

やよい橋の夢

もうじき、影も形も変わってしまう団地の夢を見た。

3歳から18歳までいた実家であるその団地は、現在建て替えが行われている。
30号棟まであるジャンボ団地なので、時期をずらして少しずつ立替えられている。

団地は山を切り開いてできた建物なので、敷地内が平地ではなく、あちこちに坂が存在する。
自然を切り開いてできたこの団地は、湧き水も存在し、世田谷百景にも選定されている。
やよい橋は、同じ団地を繋ぐための世田谷通りの上にかかる橋だが、
現生育医療センターの近くにある団地一群にある橋。

そのやよい橋が、夢ではやけに狭い歩道橋のようになっていた。
橋はつり橋のように斜めに傾いており、両脇には人が落ちないように、コンクリート?または鉄格子のような高さのある柵になっていた。
(実在するやよい橋は、普通の道路で、一つも不思議な造りではない。)

やよい橋がかかる向こう側は、建築年が新しいため、最後の最後に建て替え予定となっている団地一団がある。
全部で数号棟あるが、この夢ではなぜかもう建て替えされている。

物凄くコンパクトにされ、しかもまだ建て替え途中のように建物の周りは足場で囲まれている。
その足場もなんだか有刺鉄線のような妙な足場になっている。

近くの商店街に行くと、開発地域となっており、なぜか高層ビルが建っていて繁華街になっている。
といっても10F程度だが。
(この近隣は、そのような高層階は立てられないはずで、しかも繁華街とは程遠い立地)

その建物は、下層階にテナントが入っており、まるでプレイランドのように鉄でできた門構えの仰々しい中華風なレストランとなっている。

「最近、世田谷で話題になっているニューショップです。」
と、どこかのTVでその話題を見たな…などと思っている。

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その後、夢の場面が変わったかと思うが…
友人と待ち合わせしていたのか、たまたま一緒になったのか、
大きなイベント施設のようなところにいる。

その建物から帰宅する途中らしいが、夢の中では何日も家に帰っていない。
この施設に留まる理由があるらしい。
そこは大学のような学校のようでもあり、大きな美術館のようでもある。
鉄筋造りで天井が高く、中庭も存在する。

posted by メイ・シオン at 00:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | 夢のお告げ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年04月05日

サヨナラ ユキヒロ そして教授 3

サヨナラ ユキヒロ そして教授 1
サヨナラ ユキヒロ そして教授 2

そのつづき

YMOを知ったのは、中学卒業間際だったと思う。
当時、弟のように可愛がっていた2つ下の坂本くんが、
ライディーンを教えてくれた。

当時、テクノポップが好きなわけではなかった。
むしろあまり受け入れられないタイプの音楽。
けれど、その当時のファッション性は無視できないカッコよさがあった。

無事、念願だった高校に入学するとそこはパラダイス。
なぜって、自由な校風だったから。

この当時は、学内暴力が多発する前夜の時代。
中学では変な校則やら取り締まりに嫌気がさしていた。

道理の通らない抑圧が許せなかった私は、
どうしてもこの学校に入りたかった。

イエスキリストみたいなヒゲをはやした生徒
テクノポップのいで立ちがいるかと思えば、
長髪ロッカーやヤンキーもいる。
VAN尽くしにサーファー、ハマトラ、ニュートラ…
そして、制服の子たち。
法を犯さなければ何でもアリのチャンポンみたいな学校。

文化祭でシルバーメッシュの髪を注意された生徒が、
「スプレーです」と説明しただけで無罪放免される。
80年代、浮かれポンチなときをここで謳歌した。
今でも時々夢に見る、一生いたかった空間。

そんな時代に憧れの的だったのは、一回り以上離れた輝いてた大人たち。

そう、Bowie然り、YMO然り…

この80年代、高校生の時、聞いた話。
新宿高校で制服廃止させたのは、教授だった。
私らにとってこの年代の人々は、時代を動かしていた大人たちだった。
彼らが学生だった時代は学生運動が盛んで、群制度があった21群の同じ学区内の高校でそんなことが行われていたのかと、当時は驚いた。
私らの学校が制服もなく、取り締まりが緩く自由な校風であったのも、こういった先輩たちのおかげなのだと。
とともに、死の間際まで世に問う声を挙げていたのは、一貫してずっと変わらなかったよね。

海外ではミュージシャンは当たり前に社会を問う。
日本では、文学者では声を挙げる人はいるけれど、音楽家は音楽だけやっとけ…ってな雰囲気がある。

そんな中で、清志郎も教授もずっと吠え続けていたんだ。
それは、有名人が声を挙げるからこそ、影響力があると知っていたからだと思う。
有名人だからこそ、できる社会運動というのがあることを彼らは身をもって示していたのだと。
そう思う。

彼らに憧れ、羨望のまなざしでみていた私たち。
歴史が閉じても、やがてそれに巻き込まれても。
忘れないよ。そして思い出すんだ。

輝いてたあの頃を
posted by メイ・シオン at 02:40 | Comment(2) | TrackBack(0) | D.Bowie&music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サヨナラ ユキヒロ そして教授 2

前回のつづき


ニュースが走ったのは 4/2 母の家で口から洩れた言葉

えっ!ウソ………

2023年3月28日
2014年中咽頭がん、2021年直腸がん闘病。教授(坂本龍一)永眠。享年71歳。

この間、ユキヒロが逝ったばかりじゃないの…
あぁ、そうか、もう悪かったんだ。
うちで「きっと、ぱるおみ(細野晴臣)くんが(年が一番上なのに)、一番最後なんだろうね…」
と話してたその通りになってしまった。

帰宅途中の電車内で、なぜだかHISの『夜空の誓い』がリフレインしだして…
ポロポロ泣けてきた

細野晴臣、忌野清志郎、坂本冬美、H、I、 S三人の頭文字からとったユニット。


あなたのこと 思い出すたび
夜空の星が 近くにみえる



わたしのこと 思い出してね
夜空の星よ 届けてほしい

あぁ 遠い声が 風の中にまじっている
そんな夜さ そんな夜さ いつまでも
暗い夜さ 暗い夜さ いつだって



清志郎は2009年58才で逝去。
教授のニュースが流れた日は、奇しくも清志郎の誕生日だったと。

いけないルージュマジックのパロディを文化祭で同級生がやったよね。
青春の思い出の人たち
あぁ…また、ひとつ、星が消えてしまった。

♪ わたしのこと 思い出してね… Remember me
いや、私を忘れないで Forget me not なんだろう…


ユキヒロが逝った その1月すえには、マコちゃんも逝ってしまったね。

シナロケ(シーナ&ロケッツ)を世間に知らしめることになったアルバム『真空パック』をバックアップしたのは、ぱるおみ君(細野晴臣)とYMO。
そのシーナは2015年に、そしてマコちゃん(鮎川誠)は、すい臓がんで2023年1月29日に永眠。享年74歳。
下北で会った鮎川ファミリー。
マコちゃんはかっこよかったけど、荷物を負い双子の子どもの手を引いてたのはシーナだったよね。
縦のものを横にもしないであろう、九州男児を支えた奥さんが透けて見えた瞬間だった。


YMO散開の際に作られた映像作品。
幼馴染と行った「YMO PROPAGANDA」
もう遠い記憶過ぎてほとんど憶えていないのだけど、
スクリーンの山口小夜子が妖しく美しく……

80年代、たまたま行ったパルコで後光を纏ってあちらから歩いてくる実物の彼女を見れたのは奇跡だった。
そんな山口小夜子も2007年に57才で逝ってしまったね。


大輪の花が美しく開いて、夕方には閉じてしまう。
また、ひとつ歴史が閉じてしまった。

ぽかり と大きな空虚
私たちの青春の日々 思ひ出

つづく
posted by メイ・シオン at 01:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | D.Bowie&music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

サヨナラ ユキヒロ そして教授 1

DSC_1810.JPG

それはいつも突然だ

David Bowieの時は、まるでお膳立てされたストーリーのようで衝撃的すぎて…
お得意のエイプリルフール的なニュースじゃないの…?
というありえないシチュエーションが頭をかすめ、妙に落ち着いていたのを覚えている。

しかし、どのお別れもそれは突然やってくる。

えっ!ウソ………

ちぎれるほど 手をふる君
ボクは眩しくて 目を伏せる
こんなに いい天気に
君にサヨナラ…

……

ちぎれるほど 手をふる君
ボクはきっと 大丈夫
悲しいほど 明るいなかで
君にサヨナラ

明るいサヨナラ


2023年1月11日
脳腫瘍により併発した誤嚥性肺炎のため、ユキヒロ(高橋幸宏)永眠。享年70歳。

YMOのユキヒロが逝ったのは、D.Bowieの命日の翌日だった。
母が早くに他界した彼は、その後、ウツに陥ったという話を聞いたことがある。
当時は、ウツがそんなにもポピュラーな病気ではなくて、
それでも、かなり重度で苦しんだと本人の手記だったかに書かれていた。
見た目通りの繊細さなのだろうな…と、その頃はぼんやりと思っていた。

私の頭に甦る「サヨナラ」

アスファルトの道から ゆらゆらと揺らめくかげろう
紗の着物に日傘 うなじからこぼれた髪

坂の上から ちぎれるほど手をふる君
逆光の君は眩しくて まぶしくて…
その顔がどんなか もう見えない

蝉の声がまとわりついて 軽いめまい…
こんなに いい天気に 君にサヨナラとは
その顔が どんなか もう思い出せない

頬を伝う涙で 目が覚める
悲しいほど 明るいなかで 君にサヨナラした 
ボクはきっと 大丈夫


母には会えたろうか…

つづく
posted by メイ・シオン at 00:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | D.Bowie&music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする