サヨナラ ユキヒロ そして教授 2
そのつづき
YMOを知ったのは、中学卒業間際だったと思う。
当時、弟のように可愛がっていた2つ下の坂本くんが、
ライディーンを教えてくれた。
当時、テクノポップが好きなわけではなかった。
むしろあまり受け入れられないタイプの音楽。
けれど、その当時のファッション性は無視できないカッコよさがあった。
無事、念願だった高校に入学するとそこはパラダイス。
なぜって、自由な校風だったから。
この当時は、学内暴力が多発する前夜の時代。
中学では変な校則やら取り締まりに嫌気がさしていた。
道理の通らない抑圧が許せなかった私は、
どうしてもこの学校に入りたかった。
イエスキリストみたいなヒゲをはやした生徒
テクノポップのいで立ちがいるかと思えば、
長髪ロッカーやヤンキーもいる。
VAN尽くしにサーファー、ハマトラ、ニュートラ…
そして、制服の子たち。
法を犯さなければ何でもアリのチャンポンみたいな学校。
文化祭でシルバーメッシュの髪を注意された生徒が、
「スプレーです」と説明しただけで無罪放免される。
80年代、浮かれポンチなときをここで謳歌した。
今でも時々夢に見る、一生いたかった空間。
そんな時代に憧れの的だったのは、一回り以上離れた輝いてた大人たち。
そう、Bowie然り、YMO然り…
この80年代、高校生の時、聞いた話。
新宿高校で制服廃止させたのは、教授だった。
私らにとってこの年代の人々は、時代を動かしていた大人たちだった。
彼らが学生だった時代は学生運動が盛んで、群制度があった21群の同じ学区内の高校でそんなことが行われていたのかと、当時は驚いた。
私らの学校が制服もなく、取り締まりが緩く自由な校風であったのも、こういった先輩たちのおかげなのだと。
とともに、死の間際まで世に問う声を挙げていたのは、一貫してずっと変わらなかったよね。
海外ではミュージシャンは当たり前に社会を問う。
日本では、文学者では声を挙げる人はいるけれど、音楽家は音楽だけやっとけ…ってな雰囲気がある。
そんな中で、清志郎も教授もずっと吠え続けていたんだ。
それは、有名人が声を挙げるからこそ、影響力があると知っていたからだと思う。
有名人だからこそ、できる社会運動というのがあることを彼らは身をもって示していたのだと。
そう思う。
彼らに憧れ、羨望のまなざしでみていた私たち。
歴史が閉じても、やがてそれに巻き込まれても。
忘れないよ。そして思い出すんだ。
輝いてたあの頃を
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