先日、たまたまついていたNHK教育で「テストの花道」という番組をやっていた。
学生向け(高校生?)の勉強についての番組だけれど、これがなかなか面白くて、受験生だけでなく一般に使える内容だった。
この回は「情報を(正確に)読み取る力」
番組では、実際の高校生に読み取り能力を上げる方法を、実体験させていく。
例えば、ある写真を見て「これはどんな状況か?」といったもの。
写真は、4、5才の女の子が草原に立ち、頭に花で作った冠を乗せて笑っている。背景には、海のようなものが映っている。
ある子は「4、5才の女の子が、海の見える草原で、花の冠を乗せてお母さんに写真を撮ってもらっているところ」というように説明する。
人は「これは何でしょう?」とされた時、そこに見えているもの以外の情報を勝手に作り出す傾向がある。
これが「思い込み」である。
上の例でいうと「海」「お母さん」といったものが思い込みである。
背景に海らしきものは見えるが、それは大きな川や湖かもしれない。
そして、写真を撮っているのはお父さんかもしれないし、兄弟や親戚、この子の友人のお母さんかもしれない。
この「思い込み」は勉強の時のみならず、実生活にも大きな影響を及ぼす。
脳は自分の過去の情報から類似した記憶を引張ってきて、それがあたかも真実のように感じたりする。
広大な水のある所=海、子どもの写真を撮る人=お母さん などである。
小さな子どもには、お母さんが常に近くにいるという思い込みも考えられる。
このように合成された思い込みは、普段意識する事はない。
だって本人にとっては、それが当たり前で疑う余地がないので思い込むわけだ。
番組で取上げたトレーニングの「列挙ムシ」を紹介しよう。
丸をたくさん連ねたイモムシのような絵を描き、一つの丸に必ず一つ脚をつける。
イモムシの胴体になっている丸の中に、読み取った情報を一つずつ書いていく。
例えば「海」とか「花の冠」とか。
そして、それを一つ一つ改めて見直して、その情報はマル(合っている)なのか、サンカク(どちらともいえない)なのか、バツ(間違っている)なのかを、イモムシの脚の部分に書き吟味していく。
これによって思い込みからくるのか、正しい情報なのかを判断していくのである。
日々の生活の中で、様々な方法を使って出された課題をこなして行くうちに、トレーニングした3名の高校生は、どんどんと読み取り能力を上げていた。
思い込みによる弊害は、日常的に起こっている。
電車内で突然電車が揺れて、隣の人の足にぶつかったとしよう。
隣の人は「痛い」といって異様に痛がっている。
ぶつかった人は「ごめんなさい」と言いながら『踏んでいないんだから、そんなに痛いわけないだろう…』などと思ったりする。
もし、ぶつかった人の機嫌が悪ければ『ちょっと大袈裟すぎない?これじゃ私がすごく悪いみたいじゃない。なんなのよこの人!』みたいに思って、逆に怒りを覚えるかもしれない。
だが、もしかしたら隣の人は、足を深爪していて、たまたまそこにぶつかったのかもしれない。
だから悶絶するほど痛がったのかもしれない。
この時、それを知らないぶつかった人は、自分の思いこみによる一人相撲で心をかき乱されるわけだ。
このようにして、似たような思い込みは、話し言葉による取り違えや、文章の読み違え、またメールなどの読み違えなど日常的に起きていることが想像できる。
問題なのは、これに気づかずコミュニケーションしていること。
この思い込みに振り回されると、心理の上でトラブルを招くことが多いのである。
番組では「思い込みに気づく」を、問題文を正しく読み取るというトレーニングとして紹介している。
しかし、この方法はコミュニケーション不全の現代人に活かせるのではないだろうか。
番組内で実際に出た問題をもう一つ紹介する。
「1階から階段を使って4階まで上がるのに48秒かかった。
同じペースで8階まで上がるのにあと何秒かかる?」
わかった人はどうぞチャレンジを〜
答えを「何秒」とお書きください。
答えは次回に発表します〜