2011年03月23日

自分自身を支配する力

地震当日、本当に怖かったのは、その数十分後にきた横揺れだった。
こんなに頻繁にあるのは、かなり危険な地震であると察して、思わず交感神経マックスで「お鎮まり お鎮まり」と念じてしまった。
しかし、11日以上の揺れがあるとは思えず、地震に関してはこれ以上拡大しない。
そんな確信があって、恐怖感はさほどなかった。
むしろ、その後の原発の方が怖かったのだけれど、それさえもたぶん落ち着くだろうと。
平和ボケと言われればそれまでだが、この根拠のない確信がいったいどこから来るのか、
自分でもよくわからない。
なぜだかわからないけれど、恐怖が強ければ強いほどその感情が分離されて、落ち着き払った自分を感じることが多い。
もう一人の自分がいるみたいに。
なにか異常が起こると「その瞬間、全体像から何をすべきか?」という所に興味の対象が向く。
脳の思考がいつもそうなっている。
脳の思考といえば、一つだけ言えることがある。
自分自身が望むことはやってくるが、望まない(それを排除している)ことは、やってこないと信じている。
これはとても宗教じみているかもしれない。
けれども、今までの自分の人生を振り返っても、重要な分岐点で必ずその念は通じていた。
また、自分にとって都合の悪い人は、自分の前から去ってほしいというマイナスの念も通じていた。
そうなると、今回もこれ以上の被害なくして収束するだろうと。
不安は不安を呼ぶ。パニックする人々を見ればわかる。
恐怖に耐え切れず、叫び声をあげるその声に恐怖するのだ。
今、極限の恐怖は過ぎたものの、911のニューヨーク市民が味わったような、わからないモノに対する恐怖が渦を巻いた予期不安と、災害を知りながらも何もできない無力感に支配される人が多くなっているように思う。
ヒト一人ができることは限られている。その容量以上の自分は居ないということ。
その無力感に打ちひしがれるのではなく、ヒト一人ができる可能性にかける方が有益ではないだろうか。
不安を感じているのも、無力さを感じているのも自分。
不安感をコントロールできるのも、無力感を排除できるのも自分以外はいない。
posted by メイ・シオン at 17:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする