2012年05月07日

さよならおとさん

2012年5月3日 9:38 義父が亡くなった。
大正12年7月7日生まれ、享年88才だった。
このGWに帰省するかしないか、財源がないだけに、悩みに悩んで帰らないと決めた。
前もって決められた運命だったのか、結局、呼ばれてしまった。
こうなるなら、すんなり帰ってた方が良かったのか?
そう考えるも、過ぎてしまったことは戻らない。
3年前、認知症が酷くなり、とうとう施設に入ることとなった。
当初は、腕力もまだあり、帰る帰ると職員と義母を困らせた。
私が面会に行けた頃には、随分と落ち着いて、時折、身内の顔と名前が出ない事もあった。
白内障も進み、視力も落ちていた。
今年に入って、冠動脈がかなり傷んできたこともあり、不整脈を頻発していた。
最後は、老衰ともいえる心筋梗塞であった。

義父は、海軍の人で、艦から命からがら泳いで生還した。
家族に語り継がれる「あの時は死ぬかと思った」という義父のセリフは笑い話になっている。
私たちの戦争に対するイメージとは裏腹に、誰一人として、
自分が死のうと戦場に行ったわけではないことを思い知らされる。
戦争で両親を失くし、残された兄弟を大学まで出すのが自分の使命と働いた。
そのせいで結婚が遅かった。
家を持ち、家族を養うためにがむしゃらに働いた。
一家の大黒柱としての責任感や、義の強い人。
無口で、昔気質な怖いにっぽんの父、そのものだった。
家電製品が大好きで、パーマやにあるようなお釜のドライヤーから、マッサージ機、電子レンジや、大型テレビに至るまで、新しく開発された製品は必ずと言ってよいほど家にあった。
本人は意識しているかわからないが、長男が電気屋に勤めたのも、その影響なのだと私は思っている。
干支に詳しくて、私と初めて会った時、交わした会話も干支の話だった。
東京に来る用事があるからと、わざわざ私に会う算段をして、
18才の私に「息子をよろしくお願いします」と正座して頭を下げたのを、今も忘れられない。
興味を持ったものにとことんハマり、ワープロも使うような勉強熱心な人だった。
晩年は健康オタクでもあった。
身体のためによいサプリメントや、散歩など、決めたことは確実にこなさないと気が済まない。
今、老衰で死ねる人はそう多くない。
義父のストイックなまでの抗老化対策が、更年期の前立腺肥大も遅らせ、
老人性白内障をも遅らせ、健康度合いの高い老人を作りあげたのだと思う。
残念なのは、認知症には抗えなかったこと。
最後に会えたのは、施設での面会。
その日はかなり機嫌が良くて、随分とおしゃべりをしていた。
帰る時「またくるね」と手を振ると、満面の笑みで見送ってくれた。
あんなにニコニコと笑っているのを見たのは初めてで、そして最後になった。
『モシカシタラ コレガサイゴニナルカモ…』そんな予感はあった。
そんなこと、予知しなければよかった。
もう一度だけ、約束を守りたかったのに…
90才までがんばるって言ってたのに、あと2年は無理だったんだね。
もう充分がんばったから、あちらで好きなテレビや映画を満喫してください。
そして、お義母さんのことを見守っていてください。
posted by メイ・シオン at 02:24 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする