2010年03月13日

人を励ますということ

先日のTVで人を励ます光景を見た。
少年が立ち直っていく過程のTV番組だ。
少年は幼少からいじめに合い、しゃべらなくなった。
その少年は、最後の砦と言われる学校の一つである、山奥の全寮制の高校に入った。
先生は彼を演劇部に入れ一言のセリフを与えた。
声を発することができなかった彼は、仲間と先生の支えの中、
か細いけれど声を取り戻した。
その過程でこんなことがあった。
なかなか声を出せない彼に、先生は仲間達に
彼が声を出せるまで練習に付き合ってもらうようにした。
仲間達の支え、励まし、自分が声を出すまで仲間が帰れないというプレッシャーから、彼は声を出すことに成功する。
凄い戦略だ。連帯責任を使うなんて…
彼は窮地に追い込まれたから力を発揮したのか…?
しかし、仲間は迷惑に思わなかったろうか?
なかなかできない彼に苛立ったりしなかったろうか…?
そんな疑問の中ふと、頭に浮かんだ。
イヤ違う。励ますってこういうことなのだ。
彼が苦しみながらできない自分と決別しようともがいているのを、
仲間達は知っている。
そこにいる子たちは、形は違っても、みな同じ苦しみを乗り越えてきた子だからだ。
だから、まるで自分のことのように
彼に付き合えるのではないだろうか。
『まるで自分のことのように』
それは「仲間を助けるのは良いこと」などという、よくある道徳観からではなく、
自分をも助け励ます行いなのだ。
まるで他人を自分のことのように思い扱う。
それが他人を助け励ます原動力になっているのだ。
「人のために」という行為は、自分と他人の垣根を超えた、自分を、全てを助けるものなのだ。
励ますとは、そういうことなのだ。
そんなことを考えながら、5年前に訪れた、精神疾患の自助支援グループのことを思い出していた。
そこの責任者の言葉だ。
「ここでは、薬や症状に苦しみ、周りに当たり散らす人がいても
それをみな見守りながら、じっとやり過ごしているんです。
一言も何も言わず」
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | カウンセリング&セラピー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
>「人のために」という行為は、自分と他人の垣 根を超えた、自分を、全てを助けるものなのだ。
励ますとは、そういうことなのだ。

そうなんですよね、励ましながら、自分が一番勇気付けられているんだなぁ〜って感じています。
Posted by ハッピーまこ。 at 2010年03月15日 08:25
イイ事言う
Posted by THX1137 at 2010年03月15日 14:40
まこさん
「全ての行為は自分のため」「全て自分に戻ってくる」ということを良く言いますよね。
この意味が本当に理解できた気がするんです。
他者も自己の一部だということ。
集団で生活を営む動物は、他者なしに生きられない。そして、それは他者のみならず、動植物や自然のもの、有機物、無機物、地球上のもの地球外のもの、それら全てを含むもので、すべてが自己の一部であり、すべての一部が自己だということ。
だから「まるで自分のことのように」という行為が、見返りがあるからとか、自分が認められたいからとか、道徳的に正しいからとか、そういう性質のものではないのだということ。
たぶん、仏教用語とかでこういうことを示しているものがあるのかとは思うのですが…
適切なぴったりとくる表現がみつかりません。

THX1137さん
>イイ事言う
ありがとうございます。
たまには、イイ事書くでしょ(笑
Posted by メイ・シオン at 2010年03月15日 16:01
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック