2010年04月15日

気と心について考える

前回のつづき

「気」は普段の生活の中での尺度からいうと充分アヤシイ。
「気」の正体は現代では解明に至っておらず、まだ仮説の領域を出ないでいる。
目に見えない「波」の一つと表現されたりもする。
「波」とは、目で捉える事のできる光(可視光線)や赤外線や紫外線、X線。
また、音波、電波など、存在は確認されているが、それを手にとって見る事はできないもののこと。
「気」は科学的な領域からは否定されるが、それは一方向から見た側面であって包括的ではないと思う。
科学の場合、どれにでも当てはまる法則でなければならないという定義があるからだ。
先生は以前から「気」は芸術の領域だと説明する。
芸術の場合、その感じ方は人によって差がある。
「気」も感じる人もいれば感じない人もいて、冷たいと感じる人もいれば暖かいと感じる人もいる。
同じように感じる人もいれば、全く反対に感じる人もいるという意味で「芸術の領域」と説明しているわけだ。
これは、心にも言えるのではないかと思う。
現代では、心を数値化してそれを誰にでも当てはまるような形に置き換える考え方がある。
この方法も一つのやり方としては有効であるのだが、それはあくまでも外側から捉える人にとって、わかりやすい判定基準を設けたいからであって、人それぞれの心に呼応したものではないように思う。
そういう姿勢が、心理療法をクライエントが受容れにくくする一つの要因のように思えてならない。
(付け加えておくが、そのような方法を否定しているわけではない。
判定基準を設けないと、外側からの働きかけが一定しない。つまり、治癒に結び付けられないという、方法論の問題であるとも考えられる。)
心は、手にとって見る事はできない。
それこそ、人それぞれが似たようで似ていない感覚を持つ、芸術の領域と同じなのではないかと思う。
posted by メイ・シオン at 01:27 | Comment(4) | TrackBack(0) | ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
気は感じる人もいれば、感じない人もいるってことですよね。
気持ちの「気」と繋がっているのでしょうか?
メイ・シオンさんはよくお勉強されてて。
私ももっともっと勉強したい!!!

精神科のお医者さんって目で見える世界を重視するけ傾向にある気がして…

でも医学的なものだけでは解決しないような気がしています。(もちろんそういう見方も必要ですが)

でも、「気」ってなかなか理解されない、しにくい領域なのですね。
Posted by ぽっきぃ at 2010年04月15日 22:34
ぽっきぃさん
>気持ちの「気」と繋がっているのでしょうか?
おっしゃるとおりですよ。
日本語はとてもしっくりとくる表現になっています。
私の講義では教えているのですが、「気」は、
気持ちの気、気のせいの気、電気の気、気象の気。
どれも同じものを指しているんですね。
アロマセラピーの授業内で、ホリスティックという言葉を用いますよね。
この包括的という意は、心や身体のみならず、民族的な差異、宗教的な差異、社会的な差異、時代的な差異や学問的な差異など、あらゆるものを含めて一方向から見ないこと、と私は捉えています。
Posted by メイ・シオン at 2010年04月15日 23:07
多角的にひとつの「気」をフォーカスするのがベターですよね。雰囲気も気≠フひとつで。それを作品に投影できる人かどうかで。引き付けられ方も大いに違って来そうですね。^^
Posted by 糺瀏 at 2010年04月17日 00:38
糺瀏さん
>雰囲気も気≠フひとつ
そうですね、その通りですね。
「熱気」というのもありますよね。
例えば同じサッカーの応援サポーターというのがいますが、あれも応援するチームに「気」を送っている状態ですね。
ライヴなんかもそうですが、客のノリでステージが全く違うのは、この「気」の違いともいえますね。
Posted by メイ・シオン at 2010年04月17日 01:45
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック