http://maysion.seesaa.net/article/183107261.html のつづきです
共時性を語る前に、無意識(潜在意識)について話さなければなりません。
無意識という概念は表面化している心に対して、表面化していない心としてフロイトが考えたものです。
ユングはさらに進めて個人的無意識と集合的無意識という概念を打ち出しています。
この集合的無意識という存在があるとする一つの例では、国交がありえなかった地域でも、似たような神話や物語が発生していることだと言っています。
また、これに似た現象の一つに、“共鳴”という現象があります。
共鳴とは、例えば全く触れ合う事のないサルの群れがあるとします。
北の山で、あるサルがイモを洗ってから食べることを覚えました。
その群れのサル達は次々とそれを真似ていきました。
時同じくして、遠く離れた南の山のサルも、イモを洗うという知恵を身に付けていたというのです。
(この共鳴は、目に見えないシグナルを介して知り得た情報ではないかという説があります。)
つまり、物理的にはありえない不思議なことが現実には起きている。
偶然の一致などではなく、これが必然であるのは、北の山のサルも南の山のサルも、無意識集合体の根が一つであるからだとしているようです。
根が一つならば、その情報を無意識から引き出し、知恵として使うことは不思議でもなんでもないことなのです。
その4へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183253612.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
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フロイトやユングが説いた論は、現代の心理学の基礎を成していると思いますが、彼らの生きた時代は、世紀末の不安定な時代。(世紀末というのはいつの世にも大きな変革が起こると多くの歴史家が言っているようです)
そういう意味の不安定さは、現在と似通っているのかもしれません。
当時はヒステリーが問題視され、その治療にあたり無意識世界という概念にたどり着いたわけですが、私はこの無意識世界、特に集合的無意識に興味を持っています。
現在の心理学の世界では、このあたりは廃れているようですが…
現代は科学的な手法で、臨床にあたって一般(多くの人)に通じる研究のみが注視されています。
ですから、科学的に数値的に置き換えることができない手法は淘汰されたのでしょうね。
それでいて、人間は個々の「個人」を視てくれる人を求めています。患者一般ではなく、“私”をみて欲しいのです。
その辺りが、科学的概念を重要視する治療家と患者を隔てているようにも思います。