2013年10月27日

神さまの恩恵を受ける心根

アカシックレコードリーディングで有名な如月マヤさんのトークショーへ行った。
マヤさんのイベントに参加するのは、2007年以来。
顔を覚えるのは得意な方だけれど、この方の顔は覚えにくいかな。
少し変わったかも…若返ってる?

今回のトークショー参加のきっかけは、twitterでマヤさんを再度見つけたこと。
昔のサイトなどは終わってしまい、消息がわからずにいたので見つけた時は驚きだった。
そのtwitterで彼女は呟いていた。

スピリチュアルという祭りは終わったと。

発言には注意を払っているようで、この後に続く言葉もありますが、これだけで彼女の云わんとしていることが十分伝わった気がする。

つぶやきは今回のトークショーの前振りでもあったようだ。
トークショーのテーマは、「神さまたちと仲良しになろう」。
神社とさほど縁があるような心持ちではない私が行っていいのか!?
スピリチュアルブームから神社巡りをする方が多い中、私はちっとも興味がない。
というか、元日の夜中に初詣に行った時に、変なもん拾ってきたことがあるので、
やたらにそういうとこには、足を踏み入れないようにしている。

さて、トークショーの内容は書けないけれど、マヤさんは「ここだけのマル秘術」なども教えてくれた。
でも全体を通して伝えたかったのは、神さまの恩恵を受ける時の覚悟とか、心根(こころね)の話しであったように思う。

スピリチュアルありきで、実生活を全てそれで計るのは愚かしい。
天と繋がる選ばれた自分であると奢り、特別感を持ったとたん足元をすくわれる。
そして自分の役割をわきまえず、身の丈以上の事をしようとする傲慢さ。
人間だからこそ陥るワナへの警鐘を伝えたかったんだなと。

これは、ダライ・ラマ14世が説いていた、修行僧への戒めに似ている。
読経しているだけで済んでいると思っているとしたら大きな間違いです。
行うことそのものではなく、行う心持ちなのです。と。

人間はバカだから喉元過ぎれば何とやら。
その時、わかったつもりでいて、調子にのっているとガツンと頭を叩かれる。
世の中にある「道」や「教え」もまた先人たちからの贈り物であり、同じ轍を踏む事なかれと授けた愛ある智恵なのだ。

先日、友人のブログで「お天道さまはみている」という言葉に触れ、なんと懐かしいフレーズだろうと思ったばかりだった。
「神」とか「天」と呼ぶ、人にとって畏敬な対象は、常に私たちをじっと見ている。
見守られているとともに、恥ずべき行いをも、ただただじっと見ているのだ。

これらは、今、私に起きている必然的な戒めなのだろう。
また、ちょっとした転機を迎えつつある。
posted by メイ・シオン at 22:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック