2007年05月10日

動物と子どもと大人達

私は長いこと子ども嫌いだった。(今もそんなに好きじゃないけど)
なのに、昔からなぜか子どもにはまとわりつかれる。

先日、電車に乗ると1才位の娘を膝に乗せたお母さんが隣に座った。
その前にはお父さんが立っていた。
その子はお母さんの定期入れを口にし、おもちゃとして遊んでいたが、そのうち定期入れはお母さんに隠されてしまった。
手持ち無沙汰になった彼女は、何故か私の腕に手を伸ばしガシっと握ろうとしている。
う〜む、遊ぼうの合図だな〜
携帯でブログの下書きをしていた私は、もう片方の手の人差し指を彼女に指し出して握手遊びをさせていた。
子どもというのは、しつこい。遊びは止めなければいつまでもエンドレスで続く。
けれども、そんな事は承知だったので、携帯片手にずっと握手させていたら、前に立っていたお父さんが「もうやめなさい」と彼女の手を私の指から解いてしまった。
彼女は「あら?」っといった感じ。
私も「あら?」と思い「大丈夫ですよ〜」と言いながら、彼女に向かって「遊んでたんだもんね〜」と話しかけた。
その後も彼女は、私の顔をチラチラと見ながら『遊ぼう光線』を出していたのだった。

私は子どもがいないので、親の気持ちにぴったりとは言えないかもしれないが、こういう時、子どもの管理者である大人としてこういう行動になってしまうのだろう。
物事の判断ができない子どもの責任は親の責任。子どものしつこさに、遠慮と恥ずかしさが入り混じった感じ、といった所だろうか。
だがそこに子ども個人の尊厳はない。
私は確かに1歳児の彼女と遊んでいたのだ。
ただ隣に座ったというだけだけれど…

また別の日、買物に出かけ横断歩道の信号待ちをしていたら、道の向こうでシェットランドシープドッグじっと私を見ている。
子ども同様、動物にもあまり警戒されないタチらしい。
私はネコ派だけど犬も嫌いではない。
特にシェルティーは、もし飼えるのなら飼ってみたい犬種だ。
私は、信号が変わると横断歩道を渡りきって「コンニチワ」の合図をしているシェルティーに向かって「可愛いね〜」とにじり寄って行った。
もちろん飼い主にリードを繋がれた犬、だから飼い主にも挨拶をする。
シェルティーは、ハワハワ言ってちょっと楽しそう。
それでもそれ以上の遊びは飼い主さんの手前できず、さよなら〜をするしかなかった。
ここにもまた犬の個としての尊厳はない。
ペットは飼い主の持物なのである。

大人達を前にして、子どももペットも同様に個としての交わりができないのはどうしてなのかな…
子ども同士、ペット同士ならまだしも、私は分別ある大人なつもりなんだけど…
それとも赤の他人は危険だと思われるのかな…
そんな『当たり前じゃない』と突っ込まれそうなことを、いつも不思議に感じてしまう私なのだった。
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
それは「所有欲」というやつじゃないでしょうか?
保護責任というよりも。
子どもやペットの場合、他人に手を出されたくない!って人いますよねえ。

それにしても、子どもや動物はきっとメイ・シオンさんの純粋なところに惹かれるのね、きっと。
Posted by ネロリ at 2007年05月15日 21:50
私も、相手の人に迷惑かけてる!と思うとついこのべビちゃんのお父さんや犬の飼い主のようにやめなさい、と言ってしまいますね。私自身がコドモ嫌いなもんで気を遣うのです。犬の場合もそう、好きな人ばかりじゃない、という前提につい立ってしまいますね。(私はわんこは好き!)
やっぱりコドモやペットって個は個でも親や飼い主から見ると不完全な個、なんですよね。
逆に私はたとえば自分のコドモがぎゃ〜ぎゃ〜電車の中で騒いでるのに全く注意しない親に腹が立つわ。ちゃんと管理せーよ!ってね(笑)最近はあまりにも「個」の部分を間違って認識している親が多いと思うのですが〜。
Posted by masuming at 2007年05月16日 00:00
ネロリさん、確かにうちの子に触らないで〜と思われたかもしれませんね〜白手袋で怪しかったしな…(笑)私は純粋なんかじゃありませんよーもうドロドロのギトギトですから。レベルが同じオーラが出てるんでしょうきっと…

masumingさん、気を遣う人は増えていますね。それも神経質になりすぎる人とそうでない無法者(個の誤った認識)の両極端な気がします。
私は子どもが嫌なら立ち去れば良い、ペットが嫌なら避ければ良いと常々思っているのです。(狭い空間はムリにしても…)
だから嫌なら寄っていかないし、腕を掴まれようと遊ぼう光線を出されようと相手にしない判断を大人ならできるはずと思うのです。
その辺りの判断を大人たち(親)はあまりに洞察せず、人を観察せず固定観念で見ていますよね。
「何でこの人は子供と遊ぶのかしら?」と考えない所が私には不思議に映るのです。
この場面で母は、子どもが手を伸ばしたことを全くとがめていません。父だけがオロオロとし娘の手を引き離したんですね。かといって母は無愛想ではなく私が降り際に挨拶だけをしてくれたんですね。この母親はこういう場面に慣れていることがわかります。
この子はバブちゃんですから他人の思いを汲むというのはまだ到底無理。けれども多くの他人と関わって、遊びの中から他人を吸収することはできるんですね。
お互いが育むというのは、大人同士でも子ども対大人でも、またペット対人でも違いはないと思うんです。

Posted by メイ・シオン at 2007年05月16日 01:12
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