今日も1日限りの派遣仕事がありました。
ここ数年、色んなことがありすぎました。
悪意に気づかない自分の鈍感さ、バカさ加減にあきれ果てました。
そんな私のせいで、嫌な思いをさせた人がいました。
それが悲しくて悔しくて…
それに巻き込まれた善意を持った人が裏切られたことで、
泣いてはいけない人の前で自分が情けなくて泣きました。
新しい希望となった一人の師を亡くし、古くからの恩師は病気で倒れました。
とどめは、私がずっと心の奥底で支えとしてきた人の死でした。
私を救ってくれた人々が次々と滅していく。
喪失感に打ちのめされ、哀しみが寄せては返し日常を蝕んできます。
心にぽっかりと穴があっても、日常生活は変わらず押し寄せてきます。
大切な者の死には何度も会ってきましたが、こんなタイミングでは耐え難いサイクルです。
やることは山ほどあるのに、もう何もできない。
もういいかも…息しなくても。
弱っている私を心配して、気遣い励ましてくれる友人・知人がいて、私は幸せなのだと思います。
でも立ち直れない。
そんな日々が続いていました。
しかし、今日、外に出て初めて会う人たちと仕事をし、たわいない会話をしました。
すると、一人で歩くオフィス街の中で、ある言葉が降りてきました。
人と会おう。
忙しくしていると忘れるという簡単なことではなく、ただ、他人のエネルギーに触れることが必要なのだと悟ったのです。
刺さった鉄柱から、見えない血がトロトロと流れ落ちるように、エネルギーが漏れ続けている。
ずっとそんな状態でいて、穴を埋めるどころか広がる一方だったのでしょう。
定期的な仕事がないと、会う人間は限られてきます。
家人は、日常生活レベルの世界ですから救い主とはなりません。
同じ哀しみを共有する人と会うと辛さが染みることもあります。
だから、私を知らない人と会う行為が、心のスイッチを切り替える旅の役目をしてくれるたのだと。
旅には出られないけれど、知らない人と仕事で会うことはできますからね。
なんとも名案な気がしています。
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