2017年04月02日

私と音楽とDavid Bowie

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David Bowieファン歴37年
来週は、おそらく最後になるDAVID BOWIE isに出かけます。

私が子供の頃、父が楽士やっていました。
楽士って…(笑) トランペット奏者。

当時、夜中(といっても22時頃)に酔って帰ってきた父がジャズのレコードを大音量でかけて、母がキレてるようなお家でして、耳にタコができるほど父の好きな音楽を聞かされてましたね。

音楽は父の生業であって自分にとってさほど重要なものではありませんでした。
だから未だに楽器のひとつもできません。
けれど、子ども時代の吸収力というのはスゴいもので、リズムや音程は園児の頃のほうが良かったし、そういう環境にあったため耳は肥えて身体に沁みついていたのだと思います。

当時、音楽教室でオルガンを習う子がたくさんいました。
幼稚園の音楽発表に園児がカッコーワルツを演奏するのですが、私は当時ぜんそくで休んでばかりいる園児でしたので、知らない間にパートが決まっていました。何のパートだったか…記憶にないのですが。

大太鼓のパートを受け持つ園児は一人。先生たちは誰にするか試行錯誤していたようでしたが、誰も彼もきちんとリズム通りに叩けないのです。
何で?
オルガン教室に行っているような子たちが誰一人できずに、私は結構イライラしてました。
リズムに乗れないことが理解できなかったからです。

その後、どうしてそうなったのかはわからないのですが、影の薄い私が選ばれました。
大太鼓で姿が見えないくらいちびっ子だった私が嬉々として演奏していたのを、ビデオに撮れなかったと大人になっても父が嘆いていました。
当時の私にとって太鼓のリズムなど雑作もないことでした。

小学校に入ってみんなで歌を歌うとき、無意識にいつも片足でリズムを取っていました。
それをみていた隣の男の子が「かっこつけるんじゃねえよ」と言ってきたのです。
?
その時も全く理解できずに…でも、勝手に動いていた足を意識的にやめることにしました。
今では考えられないくらい引っ込み思案で臆病な子どもでしたから。

当時は、歌謡曲全盛期の時代。
天地真理、麻丘めぐみ、南沙織…そういった女性アイドルがもてはやされる中、私が密かに好きだったのは、青江美奈とか奥村チヨといった大人の歌手でした。
そういう人たちの方が表現力があって上手かったからです。
でも、人と違うと何をされるかわからないと学習していた子どもだった私は、麻丘めぐみのファンということにしていました。なぜ麻丘めぐみだったのかは、兄弟や従妹と誰ともバッティングしなかったからだと記憶しています。

フィンガー5が出てきたのはそんな頃で、当時の子どもたちは熱狂しました。
私もその中の一人でしたが、アイドルだからというよりも子どもなのに上手かったからでした。
なのでピンクレディにはハマりませんでした(笑)

中学生になって5教科は成績が取れず、体育、音楽、美術で点数を稼ぐ勉強嫌いによくあるタイプでしたが、
合唱コンクールでソロソプラノをしたおかげで成績が上がり高校受験に有利になり、父の生業のおかげだったと今では思っています。

お年頃になって好きになったのは邦楽よりも洋楽。
Bowie熱のきっかけは、耽美派少女マガジン「June」だったと思います。

姉の影響と一緒に同人誌をやってた幼馴染の影響で、Bowie、JAPAN、YMO、Eno、バウハウスなんかにハマってました。

冒頭でバウハウスが出てくる「ハンガー」は映画館で絶叫しました。(迷惑…)

豚を抱えたBowieが見たくて「ジャスト・ア・ジゴロ」に行き、教授も出ている「戦メリ」はもちろんBowieが出ているだけで「クリスチーネ・F」や「最後の誘惑」も見逃さず。

当時は、レンタルやでレコードをカセットにコピーするのが常でしたので、次々とライブラリーが増えて行きました。

中でも好きなアルバムは「LOW」
ベルリン3部作が好きだったので、サイケなジギー時代は当時受け入れられませんでした。
男が美しくて評価される…そういうバブルな青春時代でしたのでね。
地球に落ちてきた男のフィルムでは、この上なく美しい…本当に宇宙人のようでした。

Bowieは、その時々で色んなキャラを持っていたので、どこ時代にハマったのかでファンの層は多彩です。
世界的なヒットになったレッツ・ダンスから、ファンとしてはちょっとトーンダウンしたものの、ヒット曲演奏が最後になるとウソぶいたBowieに惑わされ、東京ドームに行った一人です。

初日は彼のコンディションのために酷いライヴでアンコールもなく「行くんじゃなかった…」と愕然としたのを覚えています。

年と共に音楽を聞くことも無くなった頃でも、唯一新譜を買い続けていたのが Bowie。
そして高額にもかかわらず写真集も購入してました。
Webも無く情報が少なかった頃でも、ちょこちょこBowieの新情報を目にしていたのがなぜなのか、嗅覚としかいいようがないくらい。

久々に出したアルバム「ブラック・タイ・ホワイト・ノイズ(Black Tie White Noise)」で、いやいや、違うだろう…と悲しくなり、私的なウェディングアルバムだったんじゃないか…と、自分に言い聞かせました。
次こそは、と「アウトサイド(outside)」に手を出したものの、そこもまだ機が熟しておらず。

そしてREALITY TOURでずっとこの人追っかけてて良かった(涙 とBowie熱が再燃するのです。
たぶん多くのファンがそうだったように。

このRealityを含めたそれ以前の3つのアルバムは、REALITY TOUR前に急いで買い集めた記憶があります。
アースリング Earthling、アワーズ… 'hours...' 、ヒーザン heathen

中でもサーズデイズ・チャイルドThursday's Childは泣けました。
https://www.youtube.com/watch?v=u4DzdUEiyL8
Monday Tuesday Wednesday born I was Thursday's child
私もまさしく木曜生まれの子どもでしたから、なおのこと。

東京ドームでのトラウマから少しの不安を抱えつつ、REALITY TOURに行った私は狂喜しました。
だって予想以上のライヴでしたから。
ライヴ中、私は彼の年齢からもう次はないかもしれないと、彼の一挙手一投足を逃さずいようと、ずっとオペラグラスから目を離しませんでした。(ド近眼なのでなおのこと…)
すると中盤、彼がこちらの客席に向かって望遠鏡を手で作り、指をさしたのです。

えっ! 私か? そんなわけないけど…(笑)
なんだか、そんな風に見てないでちゃんとライヴを音楽を楽しめよと言われているように思えて、そんな自分をちょっと恥じていましたね。

彼のステージは、昔のように派手に作り込まれたものではなく、望まれた歌を、今、ここにいる人たちと共に楽しむライヴだったように思います。

そして彼の歌を聞きながら思いました。

あぁ、彼はひとりの人間に戻れたのだと。

彼はアーティストとして成功を収めましたが、常に時代と共に変化するカメレオンとしての、DAVID BOWIEが付いて回りました。

始まりはジキーでしたが、そのキャラクターとの決別は、次なるキャラクターを生む苦しみが常に付きまとったのではないかと思います。
表現者として違う自分になることで、David Robert Haywood Jonesを覆い隠す日々に終止符を打てたのは、妻イマンの存在だったのではないかと。

もちろん表現者としてのDavid Bowieが彼の中にいなくなったわけではなく、違うキャラクターを演じる必要がなくなったのだと。

それまでのDavid Bowieは、本当に宇宙人であり、きっとそのままでは、老いることも死ぬことも許されないような業を抱えていたように思います。

こんなにも人間に戻れたDavid Bowieに会えたことだけでも、REALITY TOURに行った甲斐があったというもの。
この2004年から、またBowieの追っかけ行動が始まったのでした。

つづく
posted by メイ・シオン at 01:48 | Comment(0) | TrackBack(0) | D.Bowie&music | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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