2011年02月18日

自然の法則 その15

自然の法則 その14
http://maysion.seesaa.net/article/186114363.html のつづきです

さて、また回り道をしてしまいましたが、やっと“よりよく生きる”の本題に入ることが出来ました。
現代人の“よりよく生きる”とは、生命の危機でもなく社会性の危機でもなく、それらを乗り越えた、魂の救済を意味しています。これまでの殺し合いや、自然破壊によって人間自身をも脅かされ、新しい価値観に目覚める事が必要だと気づき始めたのです。
今、私達はそのことから、人はどうあるべきかということに直面しています。
表面的には、地球環境の改善、経済至上主義を止めることなど。そして内面的には、世界中の人々が憎しみ合う事をやめ、友愛を持ち、自然と調和し、全ての人が平和に暮らすこと。
そのために多くの人々が行動を起こしている時期にさしかかっています。
しかし、本当にそれが正しい事なのでしょうか?私達の目指す“よりよく生きる”がこの道なのかどうか、私にはある疑問が出てきたのです。
それはまた次回にしたいと思います。(続く…)

その16へつづく…
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

自然の法則 その14

自然の法則 その13
http://maysion.seesaa.net/article/185644730.html のつづきです

輪廻転生という概念があります。
これが実際にあるかどうかは、立証のしようがありません。
けれども、前世や生まれ変わりというものが、長い歴史から消し去られないのは、この世に対する執着からだけなのでしょうか?
私はそうは思いません。現実に転生に近い現象が起っているからだと考えています。
いわゆる魂の存在です。
先にも触れましたが、魂=気(生気)といえるものだと思っています。
気とは、エネルギーであると前回説明しましたが、生きている心身エネルギーそのものです。
気は心、心象と深く結びつき、心が病めば身体のエネルギーも落ち病んでいきます。
また、その逆もあります。
では、この気はいつ、どこから発生しているのでしょう?
まだ命といえるかどうかわからない受精卵の時からでしょうか?
そして死を迎え身体機能が静止した時、気はどこえ消失するのでしょうか?
この件に関してはまた後に述べる事にして、先に結論を言ってしまうと、魂と言われているエネルギーが、天の描いたストーリーに沿って、人の業とともに天と地上を行き来している。
その繰り返しが現世では業を乗り越える修行として、他の動植物にはない生き方を強いられていると考えられるのではないかということです。
人は人であるがゆえに悩み苦しむ、まさにその通りであるわけです。

その15へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/186628449.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 01:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

自然の法則 その13

自然の法則 その12
http://maysion.seesaa.net/article/185259504.html のつづきです

人がこれほどに他の動植物と異なるのは、別の所から来たものと思えてしまうフシがあります。
人の発生をたどると胎内で卵から順に胚子→魚類→両生類→爬虫類→哺乳類を追っている事がわかります。
しかし、猿人 旧人類からホモ・サピエンスに至る人の進化論に異論を唱える説もあります。
これも別の世界から来たものでは?と疑う元の一つと言えるでしょう。
突飛な話ですが、宇宙人説というのもあります。
これさえ頭ごなしに否定する事ができないとも感じるのです。
現代科学で人々は多くの新種を創ってきました。
犬、猫、家畜、これらは元の動物を人為的に操作し創り上げたものです。
これを踏まえれば、どこか別の生命体が旧人類を意図的操作しホモ・サピエンスに創り上げることも可能なはずです。
そこで登場するのが“神”の存在です。多くの国に神は存在します。
それでも多くの神々は何故か共通して、天、空の上方にいるとされています。
地球の奥深く地底からやってくる神はまずいません。これはなぜなのでしょう?
今の人、ホモ・サピエンスの発生に天(宇宙からのもの)が大きく関与しているからではないでしょうか?
ここであらゆる宗教の神そのものの取り扱いは避けたいと思います。
しかしながら、神とも呼べる天の何かによって、人はあらかじめ大きな自然の法則(ゲーム)に取り込まれている。
そう感じざる得ないことがあり過ぎるのです。
人が他の動植物と異なり業を抱えているのは、天(ここでは神のようなものとしておきます)によってあらかじめそのように創られていること。
その業とどう向き合い、苦しみ生きていくのかその命題を与えられていること。
そして天は、それを高みから、ただ視続けるもの。
そのような図式を感じてしまうのです。

その14へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/185644730.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

自然の法則 その12

自然の法則 その11
http://maysion.seesaa.net/article/185258574.html のつづきです

私はそれまで、自分の人生とは自分の思い次第でどのようにも生きられる。
そして年齢を重ね経験を積めば尚の事、自分の人生の主導権は自分にあると信じていました。
その生命さえも…
しかし、ここに来てそうではないと悟ったのです。
「私は何々になりたい。こんな人になりたい。あんな人になりたい。こんな風に生きたい。」
そう考え生きる事に意味づけをするのは人間だけです。
何とおごった生き物でしょう。
何億という精子の中からたった一つ、他の精子を犠牲に勝ち抜き生命を得る。
それだけで奇跡的な確立なのに、その生命を維持するという基本のことすら疎かにしておきながら、何になりたいというのでしょう?
私達はただ息をして生きているだけ。
そして、生殖し次の生命を繋ぐ、ただそれだけの事なのです。
そのように与えられた生命システムに沿って生かされているだけなのです。
何になりたいとか、こんな風に生きたいとかそんなことはただのオマケです。
それを忘れ、多くの生き物を喰らい、自然をも無秩序に壊し、時には同種の人をも殺し、その屍の上に生き続けている。
生かされているとも思わず、生きる意味づけを探し、生き甲斐などという言葉を使い、我がもの顔に振舞う、それは人にだけある業と言えるもの。
他の生き物は、自分の評価や生き甲斐などを気にして生きるものはいません。
動物社会の中でボス争いがあったとしても、それは自分の種を残す本能からくるもの。
ボスであることを自己評価し、生き甲斐を見出し安心を得るものではないのです。
私が病院で老人から気づかされたメッセージはとても意味深く大きなものでした。
少し話を戻しましょう。
人は、他の動植物と異なり、生き続ける生命のシステムだけに満足せず、自分を評価し“よりよく生きる”を体現することを目的に生きる運命にあります。
では、なぜ人だけがこんな業を持ち合わせているのでしょう?

その13へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/185644730.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

自然の法則 その11

自然の法則 その9
http://maysion.seesaa.net/article/184784932.html のつづきです

私は1996年の元旦から、3週間程の入院をしました。
病は大したものではありませんでしたが、そこでの出来事は私にとって価値ある体験となったのです。
救急で運ばれた私は7人以上いる相部屋に入院しました。
当時、救急を受け入れる病院というのは、たいてい老人病院と化していました。
ここも例外ではなく、病室内は足を折った患者1名以外は全て老人でした。
糖尿、心臓、高血圧…重体でなくとも、入退院を繰り返し、棺桶に脚を突っ込んでいるような人ばかりでした。
その中に、80才過ぎの老婆が疲労骨折か何かで入院してきました。
その病状自体は大したことがなかったのですが、入院した晩から毎晩わめいていました。
老婆の40才代の息子が、現地で行なわれたお見合いで中国人女性と結婚するとことが決まったからでした。
言葉も通じない、どこの誰ともわからないような人と息子が結婚しようとしている。
その不安から眠りかけては起き、夢と現実の区別もなく息子の名を呼び叫ぶのです。
また、他には心臓で何度も入退院を繰り返し、人の噂話が好きで「まだお迎えが来ない」とばかり言っている人。
糖尿病で食事制限が自分でできないことから、親類に入院させられ何年も病院を転々とさせられている人。
白内障で目は真っ白に濁り、他の重い病を抱えていた人もいました。
そして老人達は毎日のように話しているのです。
「どこどこの誰々さんは、先月亡くなったって…●●さんはまだ生きているのかね?
もう、早くお迎えがこないかね…」

その12へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/185259504.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 17:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

自然の法則 その10

自然の法則 その9
http://maysion.seesaa.net/article/184784932.html のつづきです

文明が進み生存を脅かすものが減ってくると、生きている事が当たり前になってきました。
リーダーの下で社会が形成され集団になると、その中でどのような役割を果たすか否かで人生を評価していきます。
今の身分より上の身分になることで、日々の暮らしも楽になり、人々からの評価も違ってきます。
平民から貴族、そして国を治める王になることは、人々からの尊敬を集め慕われることとなるのです。
そうなるとこの社会の中で、“よりよく生きる”とは、社会のどのような位置(身分)や役割があるのか否かで人生を評価し、そこに生き甲斐を見出していくことになります。
一つ前の生存そのものである生命から、社会生命へと変わっていったのです。
それは、主に社会に属する職業によっての評価であることは、現在も変わりません。
たとえば、野球選手ならば、身体を壊し野球生命を絶たれるなどと表現するわけです。
野球ができない自分は、命がないのも同然という意味です。
定年退職したサラリーマンが、会社という社会集団から抜け、役職も何もなくなると、自分のアイデンティティーをなくしてしまうといった現象もこれと同様です。
生きる意味を見出せなくなり不安になってしまうのです。
そこで今、息をして生きているのに…

近年、科学が進みたくさんの物を生み出した人々は、その技術を生活に取り入れることで“よりよく生きる”を体現してきました。
しかし、それももう限界にきていることを私達は知っています。
どんなに贅沢な生活をして高価なものを身に付けても、“よりよく生きる”というものを手に入れられないことを悟ったのです。

その11へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/185258574.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

自然の法則 その9

自然の法則 その8
http://maysion.seesaa.net/article/184281837.html のつづきです
その8までは、2005/9/1にある所へ出した読みものでした。
その9は、その続きとして書いたもので2006/3/19に記したものです。

ここまではユングの本との出会いから、私の興味を抱く全てのものに触れていることへの喜びから、彼の本に書かれていたことを紹介しました。
ユングについて触れたことで共時性、集合的無意識、アカシックレコード、霊の世界、超能力、気。
すべての事は、私達が日頃認知しない、自然のエネルギーの法則によってなされていることだと確信したのです。
そのエネルギーは、目に見えない私達の心にも関与し、カウンセリングの世界にも大きく関係している事がわかりました。
前回は、「人はよりよく生きるということを目標に歩んでいる。それが正しい道だと思っていた。ところがユングの本とある人物とある物語をきっかけに、大変恐ろしい事に気づいてしまったのです…」というところで終えてしまいました。
その恐ろしい事を語る前に、「人がなぜ“よりよく生きる”を目指しているのか?」ということについて触れたいと思います。
人々が病や食糧難に脅かされ、日々の生活に喘いでいた時代の人々は、生きるためだけに執着していました。
明日の食料や家族の病のために常に不安を抱いていたのです。
そんな時の願いはこうです。
「ああ、明日は食べ物が食べられますように。病を治すための薬草が取れますように…」
生きるため、生き残るため。
生存を脅かすものに対しての不安が常につきまといました。
この時の“よりよく生きる”は、命があるのか否かで人生を評価していた、それを生き甲斐としていた言ってよいでしょう。

その10へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/184786473.html
※自然の法則その8までは2005/9/1に、その9からは2006/3/19に記したものです。
posted by メイ・シオン at 00:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

自然の法則 その8

自然の法則 その7
http://maysion.seesaa.net/article/184021583.html のつづきです


先のラーメンやの例は、毎日起こることではありませんが、日々の生活はこの“気”のやり取りの連続ではないでしょうか。
出先で親切な人に会い、プラスの“気”のやり取りするなど日常的にあるものです。
不思議な現象が起きて、読むことを途中で止めてしまったシャーリー・マクレーンの本の中にも、人と人の“気”について触れていました。
喧嘩している2人の人の間には、ものすごい憎しみの“気”が流れていて、互いにその“気”のやり取りをしている。
その“気”のエネルギーが強いほど伝染していく。というものだったと思います。
“気”のエネルギーは、プラスもマイナスも高い(強い)所から低い(弱い)所に流れていくといいます。
そうすると、マイナスの強い気を受けたとしたら、たまったものではありません。
ここから、カウンセリングの世界では、自分をプラスの状態に置くことが大事とされているということが良く分かります。
心理学に関わるものとして、人の気について興味を抱かずにいられません。
あまりに調子に乗ってだらだら書いてしまったので、この続きは、次の機会に書かせていただきますが、人はよりよく生きるということを目標に歩んでいます。
カウンセリングの世界もその手助けをして、共に歩もうとするためのものです。
宗教もまた、人のあるべき道を示し、より高度な人間であろうとするものです。
現代人は、人が壊してしまった自然の秩序に危機感を覚え、本来のよりよく生きる道を模索している時だと思います。
私は、それが正しい道だと思っていました。
しかし、このユングの本とある人物とある物語をきっかけに、大変恐ろしい事に気づいてしまったのです。

その9へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/184784932.html
※自然の法則その8までは、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月05日

自然の法則 その7

自然の法則 その6
http://maysion.seesaa.net/article/183861841.html のつづきです

もう少し現実的な話をすると、生物が遺伝的に引き継いだ本能なども、生きるうえで大切な情報の信号です。
例えば、ラーメン屋でラーメンを食べようとした時、いつもなら何の疑いもなく食べるところ、その時はなぜか器の中をかき混ぜて虫を発見したりします。
これは第6感的本能が、無意識の信号(エネルギー)を使い危険を回避しようとしたと言えるのではないでしょうか。
エネルギーというと少しとっつきにくい表現かもしれません。
魂と言ってもよいのかもしれませんが、“気”という言葉が一番ピッタリくるものだと思います。
日本語は、“気”を使った言葉をとてもよく使います。
私が気功について学んだ時、日本語では意識を全て“気”という言葉で表し、『気持ち』『気づく』『気を失う』また、『やる気』『気が合う』『色気』『食い気』などの他に身体の状態を表して『元気になる』『気が病む』と多く使っていることを知りました。
他にも『天気』『景気』『電気』『磁気』など、心と違う領域でも使っていたことに改めて気づかされました。これを見て「すると、気=見えないエネルギーと言えるのではないか?」と思ったのです。

【注釈 2011/2/5】
*広辞苑によると【気】は、
・天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの。また、その動き。
・生命の原動力となる勢い。活力の源。
・心の動き・状態・働きを包括的に表す語。
・はっきりとは見えなくても、その場を包み、その場に漂うと感ぜられるもの。
・その物本来の性質を形作るような要素。特有の香や味。け。
【広辞苑第六版より引用】

とあります。
気体状態で、物質として手に取れないが、確かに「在る」もの全般を指すようです。

その8へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/184281837.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月03日

自然の法則 その6

自然の法則 その5
http://maysion.seesaa.net/article/183718777.html のつづきです

そして、夢や瞑想、第6感といったものが、どのように働くかと言う事では、エネルギー(気)のようなものが作用していると考えられます。
例えば私たちは、気配と言うものを感じる事ができます。
これは何かの気=エネルギーを察知できる能力があることを示しています。
エネルギーを少し言い換えると電気信号のようなもの、シグナルともいえると思います。
脳内の情報は、電気信号によってやり取りされていることは良く知られていますが、これと同じように自然界の中でもあらゆる信号、エネルギーのやりとりがなされていると思います。
動物や植物、鉱物、人の作った物質でさえ、原子と分子でできたエネルギーの引っ張り合いで組成されている事を私たちは知っています。
目に見えないものでも、太陽エネルギーによって、植物が光合成を行なうといった科学的に立証されているものもあります。
気功でいう気のエネルギーでいうと、赤外線の影響が多分にあること、超能力者がその能力を使っているときは、前頭葉の働きが強力になっている事などが知られています。
これらから、全てのものは、未だ解明されていないエネルギーの波動が関与していると仮説が立てられます。
エドガー・ケーシーがアカシックレコードを読むのに、彼が宇宙に直接行くことはできません。
その媒体としてエネルギー的信号が関与していたと思うのです。
私達は何億光年もの遠い星が輝いているのを見る事ができます。
けれども、その星は既に無い物かも知れないのです。
時間と空間を越えて光のエネルギーは認識できても、ここ“現実”には存在しないものです。
(視覚は、反射した光りを見ているだけだから)
つまり、触れることのできる物質(エドガーの身体)は、時間と空間を超えることができなくても、エネルギー(エドガーのエネルギー、光り速度の信号のようなもの)は、それを超えることができたのではないかということです。

その7へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/184021583.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 01:08 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

自然の法則 その5

自然の法則 その4
http://maysion.seesaa.net/article/183253612.html のつづきです

過去に超能力がもてはやされた時代がありました。
超能力者として世界的に良く知られているエドガー・ケーシーという人がいます。
彼は病気などで苦しむ人たちを、夢の中で見た薬の調合などで救ったとされています。
今では当たり前の調合方法ですが、当時は誰も知りえず、その方法でみるみる病は治ったと言われています。
エドカー・ケーシーは夢を見るため眠りにつくと、宇宙の中にあるアカシックレコードというものを読み、その治療法を知ったと言われています。
アカシックレコードには、過去、現在、未来とあらゆることが書かれているそうです。
同じような話で、ペルーの山奥に“アガスティアの葉”というものがあるそうです。
古文書のようなその葉には、この世に生まれた人すべての情報「いつ、どこで、誰と誰の間に生まれ、いつ頃結婚していつ死ぬ」といったものが書かれているそうです。
私が思ったのは、このアガスティアの葉も、ずっと昔にエドガー・ケーシーのような人が、アカシックレコードと同じものを読んだ記録ではないかということです。
つまり、古くからある儀式を通じてのお告げや占いは、人の意識が夢や瞑想または、幽体離脱のようなことを利用して、無意識の集合体にアクセスした結果、知る事ができる情報なのではないかと言う事です。
ユングの概念を「自然のあらゆるものの無意識は共有する1つ所に集まっている」という風に理解すると、この不思議な現象はすべて理解できるのです。

その6へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183861841.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 02:39 | Comment(0) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

自然の法則 その4

自然の法則 その3
http://maysion.seesaa.net/article/183251837.html のつづきです

集合的無意識を踏まえて共時性を見ることにしましょう。
共時性とは具体的には次のような事と説明されています。
1つ目のタイプは、心で思っていたことが心の外、現実に起こる一致です。
例えば、疎遠になっていた友人を思い出していたら連絡があったなどです。
2つ目のタイプは、夢や想像が遠くで起きていることと一致する、
誰かが亡くなる夢を見たら、実際にその人が亡くなっていたなどです。
3つ目のタイプは、将来起こることをイメージするいわゆる予言です。
本の中の説明では、ことわざの「弟子に心の準備ができた時、ちょうど師匠がやって来る」や「昼間、星は見えないが昼でも星は輝いている。
心の眼が開かれれば昼間でも輝く星を認識する事ができる」と書かれています。
“集合的無意識”“共時性”私の中ではうまく表現できるまでに理解できていないのですが、この中には、私が不思議に思ってきた全てを繋げて理解できるものがあったのです。

その5へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183718777.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月31日

自然の法則 その3

自然の法則 その2
http://maysion.seesaa.net/article/183107261.html のつづきです

共時性を語る前に、無意識(潜在意識)について話さなければなりません。
無意識という概念は表面化している心に対して、表面化していない心としてフロイトが考えたものです。
ユングはさらに進めて個人的無意識と集合的無意識という概念を打ち出しています。
この集合的無意識という存在があるとする一つの例では、国交がありえなかった地域でも、似たような神話や物語が発生していることだと言っています。
また、これに似た現象の一つに、“共鳴”という現象があります。
共鳴とは、例えば全く触れ合う事のないサルの群れがあるとします。
北の山で、あるサルがイモを洗ってから食べることを覚えました。
その群れのサル達は次々とそれを真似ていきました。
時同じくして、遠く離れた南の山のサルも、イモを洗うという知恵を身に付けていたというのです。
(この共鳴は、目に見えないシグナルを介して知り得た情報ではないかという説があります。)
つまり、物理的にはありえない不思議なことが現実には起きている。
偶然の一致などではなく、これが必然であるのは、北の山のサルも南の山のサルも、無意識集合体の根が一つであるからだとしているようです。
根が一つならば、その情報を無意識から引き出し、知恵として使うことは不思議でもなんでもないことなのです。

その4へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183253612.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月30日

自然の法則 その2

自然の法則 その1
http://maysion.seesaa.net/article/183104462.html
のつづきです

ユングの学問は、私が興味を抱くもの全てに触れていました。
本の中で、従妹のヘリーは予言を行なっています。
また、いないはずの人の声が聞こえたりする霊現象も書かれています。
ユングの説によるとこれらは、人や自然、宇宙などの無意識(エネルギー)が一つのものと繋がっているため、時間と空間を越えてこれらをキャッチしたに過ぎないとしています。
ですから特殊な能力などではなく、ただアンテナが敏感なだけというわけです。
これをユングは共時性という原理で説明しています。
フロイトは『ある原因によって結果が導かれる』“因果性”を打ち出しました。
これ対してユングは『関連性のあることは、同時あるいは連続して起こりやすい、出来事は偶然ではなく必然、意味のある一致』“共時性”を打ち出しました。

その3へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183251837.html
※自然の法則は、2005/9/1に記したものです
posted by メイ・シオン at 12:00 | Comment(4) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月29日

自然の法則 その1

これから書くことは、いつか出そうと思っていた記録です。
これを記したのは2005年9月1日。
このタイミングで記すのは、そろそろ出すべき時がきたのではないかという、
出来事が起きているからです。
これは、真実ではなく、個人的な思いの域を出ない突飛な仮説の物語です。
しかし、真実とは、ある側面から見た基準で計ったものに過ぎず、
はっきりと真実と言えることは、この世に生まれたということ。
やがて死んでいくということ。
そして「今は生きている」ということだけかもしれません。
それさえももしかしたら…

【自然の法則】2005/9/1
先月、ユングの概論が知りたくて本を買いました。
それまでは、「ユング=夢の分析、ヨーロッパ人にしか当てはまらない概論」と思っていたのですが、この人の研究はインディアンや東洋にまで及び、宇宙や自然科学にも眼が向けられ、晩年はUFO研究までしていたといいます。
父はプロテスタントの牧師、母は霊媒師、母方の従妹も強い霊媒能力という中に育ったユングは、当然のことながらベースにオカルト的なものやスピリチュアルなものがあります。
私は、子どもの頃から、占いやオカルティックなこと、宇宙の存在、いまここにいる私の存在の訳について興味がありました。
「この世(現世)が正の世界ですべてと思っているけれど、それは本当だろうか?
地球が丸かったことがわかるまで、平らと信じていた人達同様、私達はあたりまえと思っている事に何の疑問も抱かず生きている。
本当にそれで良いのだろうか?」ということに心奪われていました。
目に見えるものだけを信じ、わからないものを恐れ拒絶する。
人は自然の一部としながら、それに抗う生き方をしていることに疑問を持ち続け、やがて人にまつわる全ての事、脳や身体の仕組み、目に見えない気、霊の世界、哲学、宗教そんなものに関心が移っていき、人の理解に心理学は欠かせないものだと、数年前から心理学を学ぶことになったのでした。
ですからここに来てユングの本との出会いは、知らず知らず無意識に私が呼び寄せ選び取ったものだと思いました。

その2へつづく…
http://maysion.seesaa.net/article/183107261.html
posted by メイ・シオン at 00:00 | Comment(2) | TrackBack(0) | 自然の法則 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする